神の発見

 神とは、ここでは、日本古来の神祇信仰でのおおまかな意味での「かみ」を指す。日本の神(かみ)は所謂「唯一神」などとは異なり、随分と多義的であり、外来文字である漢字本来の意味からも逸脱した部分が大きい。

 だから、例えば英語一般で言われるところの「God」ではないし、「God」は本来の日本語で言うところの神ではない(安易な訳語で妥協したことが躓きだった。浅薄な知識で意味が近そうに見える翻訳語を当てて済ませることは知的怠慢だ。)。その他、「唯一神」とされる各呼称で崇められる崇拝対象は、日本でいう神ではない(適切な訳語を当てられないから無駄不毛な誤解が生じるのだ)。そもそもが、商業的に捏造されたものではない本来の神信仰というものの原理は、土着的なものであって、信仰発生の当事者たる個人、或いは集団の、その当時の「世界」を限度とする。神が世界を創造しただのと言っても、創造したのは、そこで知られていた限りの世界なのだから、限度を越えれば無理が生じるのは当然なのだ。以下、記述の都合で、かみ(神)ではないが、今日何となく「カミ」といわれるもので、日本に於いて土着性の強い神祇信仰による神以外のものは、「神」と表記する。

 さて、以前には、「神とはなんぞや」などと問う人が稀にいたが、それは既に、問いの立て方が間違っていた。何となれば、その問いは、既に神の存在を前提してしまっているのであって、そこには、神の存在自体への問いが見当たらない。即ち、神の意味への問いがないということになるからだ。従って、問いそのものが問いとしては成立しない。正しい問いを立てるならば、「何故、神と称される何かは坐します(とされる)のか」とすべきだ。その答こそが、神や「神」の意味となる。

 その答。結論から言えば、唯一つ、現存する人の既に在る存在とその在り方を先天的と思われるかたちで理念的且つ実際的に保証かつ保障するため。となり、神とは、その保証と保障との理念的且つ現実的な始原であるということとなる。

 簡単な理屈なのだが、古来、人々は、いろいろと講釈を垂れ、様々な物語を構想して神や「神」を人に先行させようとした。勿論、先行せねば、或いは特殊な優位をもたねば、その存在理由を示すことはできないのだが、その先行をどのように捉えるかという部分で、現存する人の在り方が様々異なって来ることは当然だ。

 今日に於いて日本と呼称される地域に限らず、古くは自然の威力や不可解に対する畏敬や恐懼から、或いは、人の努力だけでは得られない恵益についての感謝から自然崇拝が生まれ、人々は様々な場面に神を見た、などと教科書で述べられることがあったが、当然ながら、最初から神や「神」がそれとして知られたわけではない。何かしら、現存一般の人では及ばない「もの」、或いは力を感じ、それを何とか表現しようとしたのであり、それも今日の日本の古語でいう「かみ」の類となった。

 やがて、仏教などの渡来よりも遥昔からある死者への葬礼(などという言葉は当時はなく、他の多様な表現があったようだが)、そこに感得される種々の感情から発する「慰霊」の念とそれに関連する「祖先」への慰霊の意思と行事の繰り返しの中で、畏れ多く、何らかの力を発揮すると思われ、場合によっては恐るべきものともなる神と遠い祖先は結びつく。

 祖先とは、現存する自分たちをつくった一つの力であり、明らかな優先性を持っている。自分が既に在るからには、その祖先の存在についてどれ程無知であるとしても、その存在と関係性を否定することはできない。

 現存する自分等があることが、祖先たちの在り様に結び付くものであると分かった時、その祖先がどこまで続くものか想像も及ばず、ただ、自分の存立の根本には祖先があるとして、遡及の果てを祖霊とし、祖神とした。

 即ち、祖先の存在を認めなければ、自分の存在理由の根幹は示し得ないわけだから、自分たちの祖先の源を大いなるものとして祖神とし、そこからの子孫の系統を構想することで、自分の位置を確定されたものとした。

 人は、自ら気づいた時には、既にそこに在り、周囲との関係性は既にある。これは正に驚異であり、脅威でさえある。自分の周りに世界がある。その世界は自分よりも遥か過去からあり、自分自身のものではない。しかし、自分は、そこで生きるしかない。その存在の不安の極致を幾分なりとも緩和させるためには、その世界に自分がいることの理由付けと、本来、自分のものではない世界を自分のものでもあるかのように振る舞うことの正当化が必要となる。

 ただ、その正当化が実現したとしても、世界の内に在って、力及ばぬところの方がはるかに大きいという現実は厳然としてあり、そこに於ける自らの在り方については、その心掛けも大きな意味をもつものとして問われなければならないのだが。

 自分から祖先、祖先から神、神といっても、その神が世界を無からつくったわけではなく、要するに遠い広大な祖先との繋がりと、祖先の、或いは神による子孫の存在様式の指示、保証が示されるところに注目し、その祖先神の指示教示を敷衍しながら生活を続けること自体が、自分たちの存在を支持することとなった。そして、その生活に、自分たちの意思の自由に従うわけではないなにものかも関わると考えるが故に、そのなにものかへの不安と畏怖の感情を持つことになるが、その感情は、生存の安泰が得られた際には、感謝の方向に至る。自らの力及ばぬところは、そのところに及び得る力の助力を得ねば仕様がない。

 その様な在り方を確認するために、「祭り」を行い、自分と「かみ」との関係を緩やかに確認することとなった。そして、そこに一定の生活規範が形成されるが、それは時代の推移によって変化する。それが日本の「神道」、厳密には今日言うところの「神社神道」の始源の大きな部分であった。

 確かに、記紀神話に世界の始原に関わる記述が見られるが、それは独自古来の発想とのみ言えるわけではなく、大陸神話の影響が大きいことは、周知の通りだ。記紀作成当時の古人にとって、世界が神以前に既に在ったというのでは、「歴史」が落ち着かなかったのかも知れないし、自然の様々な力を体系的に神格化して表現するにも不便であったかも知れぬ。また、対外的に、即ち大陸の国との交流に於いては、「始源」を示した方が体裁がよいとの考えもあったかも知れない。

 自分の周りの世界は自分が創り出したものではなく、自分以前に既に在ったものだ。従って、自分のものではあり得ない。その自分の所有ではない世界を自分のものであるかのように扱うとすれば、そこに自ら疑義を生ずることになろう。世界の在り様を推測し得る知性があるならば、それは当然なことだ。しかし、生まれてしまった人は、世界を扱わねば生きては行けない。従って、その行為を保証するものがなければならないのだ。

 ここで一つ注意。人は生まれたら生きるということが前提されており、いずれ死ぬことは確実であるにも関わらず、死ぬまでは生きることを自然なこととして受け入れているということは、どういうことであろうか。何らかの理由、きっかけで自ら生きることをやめる場合は過去にもあり、今日でも見受けられる。しかし、そのような何らかの理由が特にない場合は、それなりに生き続けるだけ生き続ける。それを生物としての本能だと言ってもよいのだろうが、何か生命の原初に関わるところはあるのだろう。そして、人は直接的な血縁の有無にかかわらず、広い意味での子孫を生み出すことで世代と世界の連続をつくってゆく。ということで、人は生きる。

 しかし、今いる自分よりも更に確からしい何かによって自分が保証されないと世界に居づらい。自分がいること自体が、その環境によっては、或いは突発的事故だと感じられてしまう場合さえもあるのだが、一般的には、明瞭に意識できる程度では、祖先に依拠するということになるから、取り敢えず、自分は祖先の存在に保証されることになる。

 では、あらためて、「祖先」とは何か。どこまで繋がるのだろうか。古代人は、自分たちの祖先が、まさか原始的なネズミのような形をした生き物だったとは思わなかったに違いない。人は最初から人であったと何となく思っていたからこそ、どこかの「神」が泥だか粘土だかで人をつくったなどという荒唐無稽なことが語られることになる。勿論、それを或る象徴的表現として捉えるならば、何らの不都合はない。その解釈の妥当性が問われるだけだ。兎にも角にも、我々の元は大地によっていることに疑義はないのだから。

 生命が生まれたことは、そして、それが様々に進化したことは、大きな力によることには違いなく、その力を「神」として構想することは、人の力不足を自覚し、不遜を戒める点では知恵でもあったが、その「神」に統一された人格めいたものが付与された段階で、「神」は堕落した。人を超越し、全てを支配する絶対的な力が、人に解釈されるものになり、人を含む全体性から、人に対するものとなった。しかし、それによってこそ、それが人の存在を保証するものであると考え易くなった。

 さて、ここで、祖先や自然の力は人の意識において後退する。「神」なるものが世界を主宰し、人はそれに依拠し、その「教え」によって行動する。とされた場合、その「教え」は、結局のところ「神」が発するのだろうか。そうであれば、世界の全ては「神」によるのであり、人にとって不都合なことも特段不都合ではなく、どうしても、不都合だと考えたい場合は、その件の発生理由は「神」によらない何かに求められる。「神」によっている限り、その自分たちは必ず正当なのだ。即ち、「神」への依拠自体が「免罪符」の機能を果たすことになる。これが「唯一神」の在り様だ。

 日本の神は、殊更に「教え」には関わらない。多くは或る方向性を示すにとどまる。それが本来の在り様だ。その祖先が神として崇められても、それは隔絶した絶対的なものではない。現存する自分たちに繋がる相対的なものであり、やがては自分たちもその連関の中に入って行く。そうであるから、神は、唯一絶対の「神」ではない。この神と「神」とが区別できないことによって、無駄で反生産的な混乱を生む人々が現れることとなってしまう。

 人は超越的かつ絶対的なものとされる唯一神に依拠するという幻想ではなく、現存する自分に繋がる祖先と子孫との繋がりに於いてその存在の不安を緩和する。この祖先との繋がりは、現在の他人の祖先とも繋がり得るところから、祖先は拡大する。即ち、自分の基礎が拡大する。それも或る幻想に繋がるものではあろうが、かなり現実的だ。

 そして、その祖先や神は、人に世界を最初から造り与えたりはしない。既に在る世界で生きることを示すのみであり、世界の内で、様々な造作をしながら在り続けることを示す。

 人に世界が無からつくり与えられるのではない。世界は既に在る。その世界は人の周囲であり、かつては多く自然の在り様であった。その様々な面に神を見たのだが、その先に統一された唯一の何かを想定することにはならず、様々な面は様々な分担と解され、そこに多様性を認めることとなった。それは即ち、多様の共存であったが、当然、調和は要求された。

 その世界は自分たちのものではなく、単に、自分たちの居場所であるということになる。そこで祖先から引き継いだものを重ねながら生きて行くことを教示した神が皇祖神であるとするのは、体系化された神話だが、そこに秩序が発生する。後に続く子孫たちは、その秩序に従って生きれば安心である。ということで済めば、世界の内は平穏安泰にその究極の終焉まで続くのであり、古代人の知識の範囲内では、永遠に持続する世界が構想されるのだが、少なくとも、人の関係性に於いては、秩序を維持するための努力が払われねばならず、それがまた、なかなか適切に実現できないのが現実だ。

 現実の人の生活では、現存する人が努力するのだから、そこには人の意思と意志が関わる。それは秩序について、どのように作用するのか。そこで無理を生じさせないようにし、安定と平衡を保つために為されねばならないことが、思慮に於いては過去への反省であった。

 過去を検討すること、即ち、祖先や、その周辺の事績を検討し、更にそれを現在の状況と照合した上で現在から将来についての判断をし、実行する。それが生きて行くということになるのだが、「自分個人(などというものがあるとして)」単独で生きられるものではないから、常に公共性・調和を考慮せねばならない。つまりは、そこに私心があってはならないという発想にも至る方向性が生じる。

 自分というものを世界内で気儘に振舞えるものと捉えて、その都合で判断することは、既に秩序に反する。秩序は、全体の平穏な持続を求めているということは、既に神話の中に語られる。公共性に対する侵犯は、罪科とされた。それは、神語りの中で示される。というところに、神は登場する。

 しかし、「自分個人」が確からしいものとしてあると思い込んでいる人に限らず、多くは、私心を持つ。しかし、たとえ持つとしても、それを公共に適合させれば実際の社会生活上に不都合はない。では、如何にして適合させるか。

 本来というものを構想し、その本来の姿形に立ち返る、或いは、本来の在り方を確認する、という歴史伝統を遡及するような行為を意識的に行うことで、狭小不遜な自分を類の中に解放し、持続的な公共性を帯びながら生活して行き得る。という知恵を先人達は考え出した。その遡及行為が古儀の反復を基調とする神道祭祀だ。もちろん、祭祀のかたちは、時代の様相に応じて変化せざるを得ないところもあるが、常に元に立ち返ることを意識することは、日本中世の混乱を経ても変わらない。

 神道祭祀では神を祀る。そこには、神に様々な願い事を伝え、実現を願うという「祈願」が為される、という形が見える。表面的には、その見方は間違ってはいないし、形式に流されれば、それだけの認識しかあり得ない。しかし、真摯に祈願をするならば、そこには、神が認識され、神と祈願者との関係が、実感として認識される。

 神が認識されれば、その神と自分との関係は、祈り願うものと、それに応えて「御蔭」を与えるもの、或いは与えないもの、場合によっては罰という災いを下すものとして定立する。この「御蔭」に対する感謝は、人同士の世界の関係の延長線上にある。ただ、相手が通常の人ではなく、尊貴な存在であるというところが異なるのだが。

 さて、今一度、神とは何か。祖先であり、大きな力であり、不可知な何かであり、本来性であり、公共的平衡を齎すものであった。

 では、神に私心はなかったのか。神話には、なかなかに旺盛な神々の私心が示される。また、各氏毎に、或いは地域毎にそれぞれの祭神があったのだから、その意味でも集団的「私」はある。しかし、それも、時代とともに中央集権的な神祇祭祀管理の中で国家の祭祀としての公共性に於いて、祀られる神としての公共性をもつことともなってゆく。そして、一般の人々が地域を遠く越えて神社参拝を行うようになった段階では、既にそうなっていたわけだから、神話に見られる神の人間らしさは、神話でのお話ということになる。

 つまりは、神々は、より広範な人々から祀られることによって、その公共性を高め、普遍性を高める。そこには神話の物語に垣間見られる神の私心は遥かな過去のお話の中のこととされ、今、拝礼されるその神は、一層、神威ある尊貴なものとなる。

 その尊貴な神を規範として、あるべき姿を構想し、実現してゆくことが人の在り方の基本だとされることにもなるが、この規範について、具体的表現で固定される部分は少ない。

 では、何故に懇切丁寧に具体的表現をしないのか。いや、中古以降ともなれば、有り余る言説がなされるではないかというかもしれない。しかし、それは、或る解釈でしかない。そして、その或るものは、実際に適用される教示として受容された。

 これがまた、後世に至るまで愈愈に混乱を引き起こす元となるのだが、恣意的な解釈などに関係なく、日本古来の神は、その祀られた土地地域と地域社会集団、更には地域を越えて、その神を崇敬する人々に立脚し、究極の在り方として、立脚域の平衡を目指す。何故ならば、望まれることは、人の生存の平穏な存続と発展だからだ。だからこそ、本来、神社神道は、所謂「世界宗教」や新興宗教の多くのような「布教」をすることはない。わざわざ外に攻めて行く「宗教」ではないのだ。

 お爺さんが柴刈りに行く山には山の神様が在り、お婆さんが洗濯に行く川には川の神様が在り、川の源の山の神様は、水源の神様でもある。そこに常ならぬ有難さ、畏れ多さを見れば、そこには神様がまします。そしてまた、先祖の霊は、山、或いは海の向こうに還り、やがて祖霊となり、神となる。ともに、現存する人々と繋がりながら、その在り様を示す。それらを共に敬い畏んで己の力の至らぬところへの加護を願い祈るところに神性は定立する。

 神は、その祀られる場所をもつ。そこには祀る者が一般的には或る集団として在り、共に地縁で結合した。この祭祀集団が固定的であり、構成員の性格が変動しにくければ、安定性は高いのだが、時代が下るほどに地縁による結合の意味合いは異なってくる。地域構成員の流動化は、既に形成されていた共通意識の保守に影響しないではいない。そこで、その地縁集団、勿論、元は氏族集団でもあったのだが、それは新規参入者も迎え入れることとなり、自分達の幅を広げ、共通意識を広げることとなるが、そこに生じる生活の多様の共存や、殊に生活願望の多様は、神の意味付けの多様、或いは変化を生み、場合によっては、牽強付会とも言える意味付けで途方もない「御利益」(これを「御神徳」という)が期待されたりするようになったりもしながら、時代は下ってゆく。

 永い祖霊祭祀の歴史は、人を祀ることを常識化してきた。そこで起こってくることが、偉人英雄を神として祀るという祭祀だ。唯一神の世界では、例えば「聖人」というものがあり、「神」とは截然と区別されるが、現在の日本と呼ばれる辺りでは違った。有り難く尊いものが神となる。そこに何の抵抗もない。何となれば、自分たちの祖先は祖神であるのだから。

 そこに慰霊の感情が付加されれば、その祭祀の恒常化は決定的となるのだが、時として、純粋な崇敬と慰霊の意思とは異なるところの、その祭祀によって齎される社会性を考慮する場合も生じてくる。しかし、神ともなれば、神には違いなく、神の多義性によって様々な「役割」が期待されることとなる。この「役割」を「御利益」という。

 何故に全知全能完全無欠の唯一「神」ではない神が、そのような期待を担うことになるのか。答は簡単明瞭。神とは元来、例えば氏族なり地域の中心として氏族や地域の構成員全員で多様な願いによって祀られてきたからだ。神や祖先は、人々の多様な願いを受ける。それが自然であったのだから、様々な、或いは不適切とも思われる「御利益」までもが期待され、やがて、その多義性を確保する。

 神は、現存の人の能力の及ばぬところを、意思に於いて、人に繋げるものである。神は、祖先として、或いは、生活に大いに影響するものとして現存の人々と繋がる。だからこそ、人の願いを繋ぎ受ける。

 人は神の祭祀を続け繰り返すなかで自分の存在自体の不安を解消し、己の足りぬところを克服する意志を確かなものとする。ただ、神は多くの教条を垂れることはないし、排他性も低い。排除すべきは、排他性の高いもののみ。その基本によって、人は適宜に己の在り方をつくらねばならない。俗に言う「宗教」に比べ、高度に自律的ではあるが、これは、永年に亘る社会内での「自己」の位置づけを常に考慮する自己制御の歴史と関わるものではある。

 「自己」の位置づけを、自分よりも尊貴である在り方に照らして真摯に考慮する時、そこに「導き」が生じるのだが、己の能力を過信する者に神は肯定的には関わらない。しかし、それでは地域や一族の守護神としての機能に齟齬が生じる。それ故、特定の所に祠や神社という設備が整えられ、そこで祭祀が執行され、地域や同族の安泰を祈る。当初は臨時の祭場であったものが、やがて固定化し、恒常的な設備となり、そこで地域の全て、同族の全てについて祈ることで、社会全体の平衡安泰を目指す。己の足らぬところを充たすべく、その力の元を得るべく祈ることもあろうが、基本は共同の在り方に関わる。

 神は、或る共同体を守護するとされる。共同体を守護するなかで各個人を守護する。その共同体は、社会の複雑多様化にともない、いよいよ多岐にわたることとなり、そのなかで、曾ては二義的であった個人の守護が多く求められるようになって久しい。

 古く、我々の祖先達は、何としても及ばぬものを尊び敬うことで、生活を拡張する力を得、生活を律しようとした。また、祖先を敬い尊ぶなかに自らの位置づけを得、自分達の在り方への反省をもって生活を律した。何れにしても、広い関係性の中に在ることで意味をなす自分というものを殊更に意識するようになったのだといえるが、これは、鏡、或いは神鏡の象徴的意味に結び付く。即ち、対象化による確認と推測だ。

 人は、自らを対象化することで自己確認をせねばならない。その対象化された自己というものは祖先の始原からの連続性をもち、子孫、或いは次代への連続性をもつ。そしてまた、世界の内に在るからには、可知・不可知の広い関係性をもつ。それらの全てを一個の人が知ることは不可能である。

 しかし、人は、自らの不充分な知力をもって生きねばならないからこそ、その知力知識をもって世界を解釈しようとし、日常会話レベルでは、その限界についての反省がなされることは、一般には多くはない。この日常会話レベルで世界を解釈しようという傲慢は、世界についての無自覚な無知による。そして、この傲慢は、世界の現実に於いて実行されることで、適切な関係性を、ほぼ無自覚に阻害、或いは破壊する。

 そのようなことを実現させないための機能性を備えたものが神なのだ。神は、関係性と連続性そのものを象徴する。したがって、神を意識しない者は、世界に対して不安定を齎すものであることとなるが、再度注意すべきは、この神は、唯一「神」ではないということだ。天上の絶対的な唯一「神」ではなく、歴史性をもつ相対的な神であるから、人に直接的に繋がっている。神ですら完全ではなく、いや、だからこそ分担と協業が行われ、それが現存の人の在り方を示すものとなる。人は能力に応じて役割を分担し、協同して生きるものであると示すものは、果たして神、神々の在り方であるのだが、その神々はまた、各氏の祖であり、土着の霊威であり、また、同時に人知の及ばぬ能力であった。

 人のすべきこと、あるべき形、してはならぬこと、などは地域伝承や日本神話に示されているところが少なくない。その中には、思想的なものもあろうし、永い歴史を背景とする経験知として伝えられてきたものもあろう。何故にそのようなことが語られるのかを正直に問うならば、理由は意外に分り易い場合が多いのだが、その語られる話に、神、或いは神性を帯びたものが登場するのは何故か。

 我々の祖先は神である。神として祀ったのだから。いや、祖先は「ほとけ」であるという新思想による人もあるかもしれない。しかし、それは、「仏教」というものが、それも永い歴史のなかで、地域的な背景をもって変性するなかで、何としたことか祖霊祭祀を取り入れたからに過ぎない。

 そして、その神は相対的である。相対的なものは「神」ではない、という理屈は成り立たない。少なくとも、日本古来よりの神は、そういうものなのだ。したがって、そこに、「選民思想」などという傲慢なものはあり得ないことに注意せねばならないのだが、それを前提した上で、現存する我々にも神性が存するということを、無意識のうちであっても、各人のなかにおさめる役割を果たしたものが伝承の繰り返しであり、家庭での日々の教えであった。

 この神性を日本仏教の布教の過程で仏性と言い換えてしまったことで、大衆的には感じ取り易くはなったのだが、むしろ仏教の本義からは随分と離れることとはなった。

 さて、我々は、神社神道とは異なる諸宗教で謂うところの「地獄」のモデルとなっている部分をもつ「現実」の世界に在る。そこでは、神性と言おうが仏性と言おうが、理想的な本性としての心性など、多くの人々にとっては実現し得べくもなく、その反映としての社会の在り様など文字通り理想であるとも言われよう。また、唯一神を奉ずる「宗教」間での対立など、「宗教」が自ら地獄を招きつくりだしているとも言えよう。地獄を奉ずる「宗教」は、さて、人をどのように扱うのであろうか。

 人が人として在るという、その在り方は、当然、歴史的制約を受ける。今日現在の制約と同じではない。したがって、特定の過去の「在り方」を今日の価値観で評価することは、単純な比較を除いて全く無意味なのだが、どの時代にあっても、よりよい世界を求める傾向はあったように思われる。だからこそ、近くは、「帝国主義」が勃興したりもしたのだが、様々な存在様式を形成する際、そこで気遣われるべきは、世界の関係性と連続性を広く俯瞰的に考慮し、調和を重んじるということであったのではないか。ところが、私心に傾いたが故に、様々な齟齬が生じた。

 関係性と連続性などと言っても、それらは所詮は言葉として観念的に表現された事柄だ。具体的には各人の責任において考えられねばならないからこそ、そのままではどうしようもなく厄介であり、まさしく我儘な解釈が主張されもしよう。そこで、規範として、多様性と役割分担・機能分担の承認が必要となる。また、関係性の具体的歴史的確認は不可欠であるし、歴史的連続性の遡及によってこそ、人は人たり得る。それらを人の自身のなかで完結できれば、支障なく、よく調和した世界が実現されるところだが、規範は自身の外に求める方が分かり易いのだ。そこで登場するものが、人の自身を現実的に歴史に繋げる祖先達であり、更に抽象化された祖神であり、人知の限界を知らせる自然神だ。

 ならば、それらを心の内に留めればよいとするかもしれない。そうした場合、その行為によって実現される事柄は、どれほどの公共性を保証し、また、破壊するだろうか。

 個人などというものは随分と観念的なものだ。真正の個人などというものは存在し得ない。しかし、それ故にこそ、個人を指向する個人の公共性には疑念が生じる。個人は私的傾向をもつ。即ち、私心に傾くものであるからだ。そこで、その様々な私心を集約して公共性に結び付ける機能が求められることとなる。そこで公正を保証するものは歴史であり伝統であり、それを担う神々と人々であった。

 日本に於ける古来の神社というもの、と言うのは、アジア大陸の東方各地に古くは似て非なるものが在ったことによって、それとは区別しなければならないからだが、その神社は、公共の空間であり、公共性を示す機関であったといえる。多くの場合、そこで人々は根源に結び付く自分達を感じ、より尊貴なものの許で、等し並みの自分達の在り方を考慮した。そこに、それなりの秩序が生まれ、例えば、村社会の公共性が実現されていった。その背景には、自分達の祖先・祖神と結びつく神々が歴史伝統を象徴するかたちで存在した。

 その存在の場としての神社は恒久的な設備として固定維持されることとなってゆくのだが、それは、各個人の家よりも、より高い公共性を示現し、且つ、より尊貴な根源に結び付く場であった。そこにあって、神は、人々の個を超えた結び付きを司るものともなり、尚一層、人の間の関係に関わるものとなる。ここに地域の祭の始原がある。

 神は、人々の或る気付きによって登場するのだが、それは、全く超越した何かではなく、不可知な部分はあるにせよ、祖先や日々の生活に密接につながるものであった。ただ、理念としての、或る在り方を示し得るものであることによって、生活の背景となり得た。その背景を担うところに歴史伝統や社会の公平に背く私心は邪心とされることとなる。だからこそ、公共性と平衡を求める人々は、私的願望をも持ちながら、神々や神社に寄辺を求めてきたのだ。そしてまた、他意無く祈ることで、自覚の有無にかかわらず、世界の内に在るものとしての自らの在り様の確認が可能となり、より尊貴なものとの関係づけのなかで、存在の方向性は得られることになる。