生きること


 「何のために生きるのか」という、何を問いたいのか分からない問いがあります。
 問いの意図を図りかねるのですが、しかし、問いの目的にかかわらず、共通できる答えは、「自分のために生きる」ということです。
 他人のために、社会のために、家族のために、と思う人々も、そのように生きようとする自分があり、そのような自分がなければ生きられないのですから、先ずは、その自分のために生きている、ということになります。
 「自分のために生きる」というと、何か卑しいように思われるかもしれませんが、人を単に生物の種の一つとしてではなく、社会に於ける人として見れば、自分だけで生ずることも生きることも不可能なのですから、その在り方として、他人のため・社会のための程度は当然含まれます。ただ、その程度がどれほどであり、また、それが当人の意識によるものなのか、ただの結果だけなのかというところはさておいて、です。
 その在り方の程度・傾向について、社会的な評価が生じ、役に立つとか立たないとか、「人格者」だとか「人でなし」だとか言われはするものの、それは判断の時点での外見についての価値表現であり、当人とその周囲との関係を示すものであって、同様の在り方の持続性は必ずしも保証されたものではありません。
 そのような在り方を示す自分を在らしめるために、自分があり、その自分を在らしめるために生きるということが生きる自分の基礎です。